IME2002のトラブルかな?

パソコンのバグってしまったのかどうかは定かではありませんが、正常に文字入力が出来なくなってしまいました。具体的にはキーボードの「O(ら)」を打鍵すると、表示される文字が「7お」などと、何故か数字の「7」が「お」の前にくっ付いて表示されてしまったのです。


色々手を尽くしましたが、

「プログラムの追加と削除」「Microsoft XP office professional」「変更」「機能の追加/削除(A)」「officeの共有機能」「入力システムの拡張」「IME」「インストールしない」「更新」「パソコン再起動」「「プログラムの追加を削除からIMEまでの手順を繰り返し」「マイコンピュータから実行」「更新」「パソコン再起動」

で一応解決しました。


一体何が原因だったのかは最後まで不明でした。ウイルスでもないだろうし。

確かに乙一さんっぽい

百瀬、こっちを向いて。
山白朝子短篇集 死者のための音楽 (幽ブックス)
中田永一さんの『百瀬、こっちを向いて』と、山白朝子さんの『死者のための音楽』を読了。

…確かに似てる。凄く乙一さんっぽい。特に中田永一さんは隠す気ないだろうと思われるくらい白乙一だ。

そこでまたGoogle先生に聞いてみた。
早速乙一中田永一を裏付ける情報がヒット。
http://d.hatena.ne.jp/matsuo/20050718
書店のPOPに書いてあったようです。
間違いないかな、これは。

山白朝子さんも同様に書店のPOPに「ほめのかしってレベルじゃねーぞ!」ってぐらいモロバレのヒントが。
http://shoko.from.tv/archives/2007/11/20-235957.php

こういうのは秘密にしておいた方がいいんですけど、私は疑問に思ったら調べずにはいられない性質でして^^;
それに販売サイドもあまり隠す気もないようです。

中田永一さんの『百瀬、こっちを向いて』は、乙一さんが恋愛小説を書いたらこんなんだろうな、とファンなら誰でも思うような短編集に仕上がってます。主人公はそれぞれ男性1人、女性3人という内訳。

その中の男性主人公だけが突出して内気で後ろ向きで容姿も平均点以下で、あとの女性主人公は優れた推理力を発揮したり、実は…だったりと、男性主人公に比べて能力的にどうこうってわけではないのが、彼らしいというか。

どことなく『暗い所で待ち合わせ』の盲目の女性主人公を思わせますね。性格はおとなしめだけど、いざという場合にはやる事をやれる芯の強さを持っている。

久々に白乙一が読めたって感じですね。何故変名を使ってるのか分かりませんが、この名義での作品も追いかけないとな。

図書館で困る事

twitterで『護法少女ソワカちゃん』好きのmonadoさんにオススメの本を尋ねた所、「澁澤龍彦が良いよ」と言われたので、予めネットで図書館のリストに澁澤龍彦がある事を確認して、帰りに図書館に寄って探してみました。

しっかーし!無い!無い!どこにも無いぞ!

確かに一般小説コーナーにあるとリストにはあったのに、どこにも無い。これはあれですな。借りられてるよりも悪い。借りられてるのなら「ああ、じゃあ返却されるまで待っておくか」となるのですが、別に借りられてもいないのに無いって事は、どこかに間違えられて置かれているか、もしくは紛失しているか、ぐらいしか可能性がないからな。

仕方ない。少し遠出になるけど、デカい図書館の方で借りるしかない。

ちなみにここで借りたのは、西尾維新3冊。東浩紀4冊。政治本2冊。『死者のための音楽』山白朝子。『百瀬、こっちを向いて。』中田永一。後半2冊は実は乙一さんでは?と言われてる2人ですな。自分の目で確かめてみよう。非常に楽しみだ。


完全に偶然なのだが、今日懐かしい人と電話で澁澤龍彦の話で盛り上がった。どんなシンクロニシティだ。

マイミクの人とも、初めてニコニコ動画にアップロードした日が同じだったりと、妙に最近シンクロニシティづいてる。

何の前触れだろう?もうすぐ死ぬのかな?w

はてなって社会学者が多すぎる気がする

色々社会について小難しい議論してるみたいだけど、社会を変えるのは加藤容疑者のような「テロ」か、もしくは「デモ」が一番効率的なんじゃないだろうか。彼らに社会学者がこねくりまわすような思想的バックボーンがあったとは思えない。
賢明な人は社会を変えられない。その知性がブレーキを掛けるから。

今更ながら空想ルンバを歌ってみた


土日と祖母の見舞いに行ってる最中にオーケン(大槻ケンヂ)のバンドである筋肉少女帯、特撮を聞いていたらどうしてもオーケンの曲を歌ってみたくなった。しかもそれをニコニコ動画にアップしてみたくなった。
しょうがない!
これは人間の自然の欲求なのだから!
逆らうだけ無駄な事なのだ!

政治批判って本来凄く難しいはずなんだけど…

どうも簡単にされすぎてしまってる気がする…。
特にテレビ。
キャスターが簡単に政治や外交に対して怒ったりしてるけど、どれくらい勉強してるのかな…。


自分の場合は新聞に目を通し、ネットの記事をフォローし、政治家のブログを熟読し、国会議事録をチェックし、Podcastでニュースについての専門家の意見を聞き、月刊の論壇誌を読み、NHK時論公論や視点論点を視聴するぐらいしてやっと批判したりしてるんだけど…。


そこまでやると、テレビでなされてる政治批判って短絡的な感情論が多すぎる事に気づく。でもそれって普通一般の国民感情の代弁に過ぎないのかもしれない。お上(人によっては野党)は常に絶対悪の対象でしかないからなー。


人間は叩いても誰も傷つかない対象ってのを常に欲しているのかもしれない。そんなのはどこにも存在していないんだけどね。

生まれたら死ぬなんて、とても不条理…

初音ミクver『ミッシング・リンク

元ネタ



ミッシング・リンク


[少女革命ウテナ(IS)]
作詞/作曲/編曲:J.A.シーザー
コーラス:演劇実験室@万有引力


ミッシング・リンク 
ミッシング・リンク
失われた 環(リンク)

連鎖(つながら)ないわたし
なのに 変化(かわり)つづけるわたし
天体よ
どうしてこの世に
わたしがいるの

ミッシング・リンク
ミッシング・リンク
失われた 環

連鎖(つながら)ないわたし
なのに繋げる力
幻想(まぼろし)よ
どうして今、ここに
わたしはいるの

生まれたくなくても
生まれてしまう
もっとも始源の
わたしの存在(こころ)

生まれたら死ぬなんて
生まれたら消えるなんて
繰り返すなんて
とても不条理

連鎖(つながら)ないわたし
なのに繋がるわたし

ほら、今消えた わたしが詩(うた)ってる

ほら、今消えた わたしが微笑(わら)ってる

ほら、今消えた わたしが立ち竦み

ほら、今消えた わたしが生きている

ミッシング・リンク ミッシング・リンク

少女革命ウテナの最終話で使われた合唱曲。
ヒトではないミクが歌うと、なんだか不思議な感じがする。
ウテナの合唱曲は万有引力じゃなくて、
杉並児童合唱団が歌ってるverが好きなので、
元の曲より好きかもしんない。

これ聞いた当時は、存在論的不安をそのまま歌詞にしてるJ.A.シーザーに仰天したものだ。

「生まれたくなくても 生まれてしまう」
「生まれたら死ぬなんて 生まれたら消えるなんて」

不条理だよ。
自分が実存哲学にハマった要因は、このJ.A.シーザーの合唱曲に拠る所が大きい。