西尾維新は「捨てる」のが上手いよね

前から思ってたけど、西尾維新は「捨てる」のが本当に上手い。普通なら必要だと誰もが思っていたものを、なんの躊躇も未練も葛藤もなく捨てるのが上手い。読者が読みたいものと読みたくないもの、それを魔性じみた感性で察知してザックリと切り捨てる。

戯言シリーズにおいて、警察の存在が全くと言っていい程出て来ないのはその典型だ。ファンタジーなどであっても、異常事態や殺人事件が起きたら申し訳程度であっても警察が出てくるものだ。しかし「そんなクソリアルなんてつまんないよね」と言わんばかりに、その存在を徹底的に無視する。見え見えなほどに無視する。誰もがこれは不自然だ、ありえないと思っていても、過剰で華美で華麗な文体の前に「ま、細かい事はどうでもいいか」と思えてくるのだ。

我々は西尾維新にリアルを求めているのではないのだから。

これはなかなか出来ない。コロンブスの卵とでも言うべき発想の転換が必要だ。それに読者を納得…ではなく、許容させてしまうだけの力量も。

彼は自分が勝てる分野で勝とうとしている。勝てないだろう分野では勝負すらしない。それは既に誰かがしてしまっているだろうから、自分がする必要はない。

スペシャリスト。

そんな表現がピッタリだ。小説家と言えばなんとなく博覧強記であらゆる(とまではいかなくても、かなりの)分野に精通するオールラウンダーという印象を受けるが、彼はその道を通る事をやめ、独自の道を開拓した。