悪童日記、それは追体験する悪夢
『悪童日記』とはアゴタ・クリストフ氏の超絶傑作3部作の第1部である。あとの2部は『ふたりの証拠』『第三の嘘』と続く。
ネタバレすると激しく興ざめなので、予めレビューなどには目を通しておくべきではないと考える。それでも紹介するとなると、内容の核心などには触れずにするしかないな。
主人公は双子。題名では彼らを『悪童』と称しているのだが、私には彼らが悪なのかどうか、とうとう最後まで判断出来なかった。彼らが悪なら私も悪だ。いや、人間存在そのものが悪だ。
彼らは不幸だ。並レベルの不幸ではない。絶望的な状況でスタートする。しかしそのような状況におかれながら、彼らは絶望しない。出来ないのかもしれない。していられないだけだったのかもしれない。
彼らは賢い。その賢さはいかなる縛りをも超越する。自らの生存のためには倫理や法律などには目もくれない。機械的・システマチックにただ自らの生存を脅かす存在を除去しにかかる。その冷徹さ・徹底さには良心のヒトカケラもない。必要ないからだ。しかしそれは必要に駆られているから故の行動だ。マフィアのボスが冷血に人を殺したり苦しめたりするのとは次元が違う。
生きるとは何か。どういう事か。
何が嘘で、何が本当なのか。
何を信じ、何を疑うのか。
何を捨て、何を手に入れるのか。
彼らは究極的に何だったのか。
この作品の根底に流れるテーマは、個人的にはデビルマンにも匹敵しうると考えている。比較対象が如何にもアレで恐縮だがw