kagamiさんとK・ワークス(新・アニメ・批評)さんとの悲しきすれ違い

近日中に閉鎖致します。 - ロリコンファル
ロリコンファルというブログを綴られていたid:kagamiさんが、ブログをとうとう閉鎖してしまった(´;ω;`)ウッ…
しかしkagamiさんのサイトを読むと、もしかして閉鎖の一因が誤解に基づくものかもしれないと思いました。kagamiさんは『新・アニメ・批評』がロリコンファルを罵倒している記事を2本書き、その後すぐ削除するという卑劣な行為を行っていると言っておられました。だけど私にはどうしてもK・ワークスさんがkagamiさんを罵倒する意図で記事を書いたとは思えないのです。ここにK・ワークスさんが削除した2本の記事を全文再掲します。ほにゃらら的に完全にアウアウなので、K・ワークスさんから怒られたら削除しますです^^;


リンクを貼っておきながら無視している連中を無視してわたしは「ロリコンファル」を擁護する。

元記事 | 2日前 by K・ワークス アニメ批評・原理


 わたしがリンクを貼らせていただいているロリコンファルという超人気サイト・ブログの執筆・運営をされているkagamiさんが、大変な精神的苦痛を被っている。



 詳細は彼のサイト・ブログに目を通していただいたほうがよろしかろうと思います。要約させていただきますと、あるひとりの醜い人間が彼のサイト・ブログに大きな精神的苦痛を与えるコメントなり、トラックバックなりを延々と送り続けているそうです。



 そのきわめて醜い人物のおかげで、わたし(たち)は「ロリコンファル」さんの新しい記事を読めなくなってしまい、大変に腹立たしい思いをさせられております。「ロリファル」の執筆者の方は、更新を「自主規制」せざるをえないほど、精神的に追い込まれているそうです。



 「自主規制」とは、実質的には「他主規制」でございますから、わたし(たち)のように日々、そのような制度=文化的苦痛のなかから、「敵」を欺くアニメーション表現を模索しているアニメ制作者にとっては、そのような問題が「対個人レヴェル」で生じているということに危機感を抱かざるを得ない。



 「ロリコンファル」さんが、たとえばアフェリエイトでいくら儲けていようが、東浩紀さんが言及されていたような「二次元の住人」であろうが、その文章の偽善性や偽悪性があられもない無恥を露呈していようとも、わたしが「ロリコンファル」さんの記事を楽しみにしている以上は、「ロリコンファル」さんに「攻撃的」な記事を送りつけている「鹿島つばさ」さんの暴挙を笑って許してあげるわけにはいきません。



 具体的にどうのような非難が「ロリコンファル」さんに寄せられているのかは、公表されていないから判らないけれども、少なくともわたしの制作活動の支障になるので、いい加減にやめていただきたい。ロリコンファル」さんのエロゲーレヴューが常に優れているとは思わないし、直接的にテレビアニメの制作にフィードバックできるわけではありませんが、彼・彼女の記事を読めないことがわたしにとっては大変な苦痛であります。ですから、くだらない嫌がらせはいい加減にやめていただきたい。



 いわゆる「ブログ論」に関する興味はわたしにまったくございませんが、「ロリコンファル」のようにくだらないサイト・ブログにいちいち悪口を書く暇があるのならば、ぜひともわたしの運営しているブログに「ロリコンファル」さんに当てて書いている同じ内容を書き込んでいただきたい。あなたの愛憎と可能な限り適切にわたしは向き合うでしょう。



 いい加減に醜いことはやめなさいよ、、とわたしは言いたい。



 また、「ロリコンファル」さんにリンクを貼っているみなさんにも主張させていただきたいのですが、自分がリンクを貼っている「仲間」が嘘でも本当でも攻撃にさらされているときに、無視を決め込むのは間違っているのではないでしょうか。冷静に分析したり、静観・無視を決め込むのではなく、擁護するべきなんじゃあないですか。何のためのリンクですか。何のためにリンクを貼っているんですか。

 

 ないとは思いますけれども、近い未来において、「ロリコンファル」の更新が長期的に更新されないようであれば、それは「ロリコンファル」さんの責任ではなく、「鹿島つばさ」さんの責任でもなく、それを傍観して気味の悪い笑みを浮かべているわたしたちの責任に他ならないのではないでしょうか。



 「ロリコンファル」という名称は、G・バタイユという20世紀前半のフランスの思想家の政治結社のパロディ名ですけれども、リンクを貼らせていtだいているみなさんは「アセファル」と「コントレ・アタック」についての知見を踏まえたうえで、いかに「ロリコンファル」が「ロリコンファル」であるかをこれを機会に勉強して、このサイト・ブログを擁護しましょう。彼・彼女の「エロゲ」評etc…を読めないのは、わたしにとっても大き過ぎる損失であります。



 目ざといアニメファンならば、誰もが楽しみにしているであろうある秋クール放送予定のテレビアニメの挿話(エピソード)でわたしは動画チェックと原画と演出を担当する「予定」になっていますが、「作画崩壊」させますよ、とささやか過ぎる恫喝まがいの抵抗しかできません(30代になるまで演出はやらないと豪語しておりましたが、現在のテレビアニメ業界の状況はことほど左様に苦しいようで、断れませんでした)。



 そうであるがゆえにとは言わないけれども、サイト・ブログ上の言葉のやり取りで、人が死んだり、深く傷ついたり、何かもう、そういうことはやめませんか。



 たとえば、「オタク」を自認している方、「批評家」を自認している方、零細のアニメーターやプログラマーのみなさん、さらにはわたしにも経験のあるニートやフリーターとして苦しい日々を送っているみなさん、少なくとも、わたしたちだけは、そういういことをやめませんか。最近、世間を賑わせた報道を、わたしも目にしましたけれども、「アレ」はあまりにも悲しすぎるでしょう。偽善もへったくれもあったもんじゃありませんよ。愚かにも程がある。



 少なくてもいいのです。大手の日々に数千や数万ヒットを誇るサイト・ブログを運営していらっしゃるライターさんやニュースサイトを運営されている方々に到底わたしの書く記事は適いません。それは自覚しております。けれども、この記事を読んでくださった方には、ぜひとも「馬鹿げた悲劇」を「馬鹿げた悲劇」として自覚的に演出できるくらいの知性は持っていただきたい。本当に「作画崩壊」やって、10年の後に、あの事件の主犯格は「鹿島つばさ」さんに促されて、罪を犯してしまったわたしの責任でございます、などと告白いたしますよ。いや本当にそう思わせるくらい酷いんじゃあないか。加害者は勿論だけれども、「ロリコンファル」さんにリンクを貼っておきながら無視を決め込んでいる大手サイトの皆さん、わたしの声が本当に聞こえますか?



 都合ってぇもんはわかりますよ。けれども既存の新聞やテレビの真似事はやめましょうよ、いかがですか。もっともっと、10代の子供たちはもちろん、汎用的にネットを駆使してアニメーションなどを本気で伝えて欲しいと思うのはわたしの傲慢でございましょうか。



 本当にですね…、本当にですよ、くだらないことはいい加減にやめましょうよ。

リンクを貼っておきながら無視している連中を無視してわたしは「ロリコンファル」を擁護する。

いささか早すぎる「ロリコンファル」追悼記事。
元記事 | 12時間前 by K・ワークス アニメ批評・原理


 馬鹿みたいに哲学者や文学者の言葉を引用することによって、むしろ逆に己が無知であり、無教養であるこという事実を曝け出しつつ、何より優れた知性への素朴な憧憬をネット上で披瀝してきたロリコンファルという素晴らしいサイトの終焉がその筆者により予告された。



 このサイトの愚純なまでの引用癖には多くの人があきれさせられたし、何よりその思想的偏りの一貫性は、およそリベラリスムとは程遠い耽美的・唯美的・審美的などという凡庸なる紋切り型(フローベール)あるいは神話作用(バルト)などの表現が最も相応しい誤解と語弊を生みつづけたと言ってよい。



 彼/彼女がサディスムとマゾヒスムに言及したとき、誰もその問いに孕まれた切実さにレスポンス(デリダが言うところの応答=責任)することはできなかった。彼/彼女が愛について語るとき、誰もがそれを偽善の標しと見なしたし、ハイデッガーデリダ(以前)的な解釈学的偏見のアナクロニズムを見抜けない若いひとたちは、その愛を真理の基準に照らし合わせてしか解読しようとはしなかった。よしんば解釈学的読解を許してやるにしても、彼/彼女が「kagami」と自称したことの意味とそれが周囲に波及させる意味作用ををまともに解釈しようとするものはいなかった。誰も「偽なるものの力能」(ニーチェ/ドゥルーズ)にkagamiが貫かれていること、そしてわたしたちもまたそのような存在であることを彼のディスクールから見抜こうとはしなかった。



 美しく醜い哀れな魂の顕現をテクストの上に認めようとする努力を多くのものが怠った。



 可哀想な『」気狂いピエロ』、彼/女はゴダールも、彼が引用した詩人のランボー(『見つかった?何が?永遠が…』)をもまともに「見る」ことのできない人々から「二次元の住人」などと名付けられ、「エロゲー」について何か誇張的で大袈裟、おまけに衒学的な偽善者、疑わしき裏切り者の烙印とともに、日々更新されるその挙動を誰もが静観した。それが公共性も市民もかつて存在したことのないこの国のネット社会におけるローカルルールだと言わんばかりに、「俗情との結託」(:大西巨人)を読者の多くは己に許した。そして誰に擁護されることもなく、「ロリコンファル」の数等劣る知性の持ち主たちからは当然のごとく都合のいい論理(本当は生理)によって無視された。彼・彼女の悲痛を聞き届けるものは誰もいなかった。ミシェル・フーコー以前の単純な権力概念を適用すれば、ネットの世界で「権力」を掌握するものたちは、ことごとく、死亡宣告を下されて弱っていく彼の衰弱するエクリチュールから不徳の官能性さえも期待した。醜く滅び逝くものを高みから眺める至上の快楽。無邪気で口当たりの良い知性を標榜する読者たちはここにいたってもまだ、そのような己の欲望と快楽から批評的な距離を取ることはできなかった。そのような欲望と快楽のありようを肯定することによって、さらにバルト的な、あるいはバタイユ的な弁証法精神分析の言説を解体したエクリチュールの悦楽と侵犯への道を示した「kagami」に映った己のあられもない相貌を眺める知性を持ち合わせてはいなかった。決してその破廉恥なみずからの姿を肯定しようとはしなかった。



 誰もが真理を求めた。誰もが客観性を求めた。誰もが裁判官であろうとした。誰もが「鏡」のもつ二重性の戦略を、時には多重性の戦略を見出すことができなかった。その鈍重なエクリチュールに潜むクリスタルイマージュ(:ドゥルーズ)を誰も見出そうとはしなかった。所詮「エロゲー」、所詮「サブカル」、所詮「オタク」、所詮「二次元の住人」、所詮「変態」、所詮「衒学的な馬鹿」。所詮「他人」。偉そうに「他者性」や「倫理」の問題を語る無教養なひとびとの情動が「ロリコンファル」を無視した。いかにもケンカを好まない適切かつ穏やかな彼/女の批判を誰もが無視した。受け入れようとはしなかった。誰もが相対性理論さえまともに理解できないくせに、何故か文化的・解釈学的な相対主義を掲げて己の寛容さを示そうとした。みずからがデモクラートであることを示すために、ロリコンファルの言説を誰もが殺害した。それがファシスト的な制度的思考であることを周到にロリコンファルは指摘し続けていた。彼は自覚的にそのような蒙昧な思考と戯れつつも、何とかして自分のやり方で、己を通そうとした。にもかかわらず、みんなで彼をなぶり殺した。彼/女は思い込みが激しくて、どうにも「普通じゃないらしい」などと厚顔無恥にも程がある言葉がネットの言説空間をまかり通った。再度、問う、ロリコンファルを殺害したのは誰だ?



 誰もが「読めなくなること」に不安や恐怖を覚えなかった。得意げに『図書館戦争』というテレビアニメ作品を画面の連鎖とは無関係な法的解釈の観点から、己の浅薄な知識をひけらかす為に肯定したり否定したりするひとたちは、自分たちが「読めなくなること」に対して圧倒的な鈍感さと歴史意識の欠如とアニメーションを見抜くセンスの欠如をあっっけらかんと涼しい顔で表白していたことに無自覚だった。



 デリダやアレンとサイード、あるいは奇を衒って無政府主義者としか思えないチョムスキーの言葉を待つまでもなく、9・11にもアウシュビッツにも「無=責任」であることの出来る者はいない。ロリコンファル」を殺害したのは誰だろうか?ニーチェのの言葉を待つまでも無く、それはわたしたちだ。わたしたちが殺害したのだ。もう読めなくなった。彼/女の記事をもう読めなくなった。すべては過去となり、未来の新しさとは無縁になった。小さな小さなガラス玉にしか過ぎない彼の言葉。長い長い引用文の間に差し挟まれる彼/女の偽りの言葉、それらが然るべき場所から発されることは無くなった。彼/女は死んだ。殺害された。
新・アニメ・批評 いささか早すぎる「ロリコンファル」追悼記事。

2本とも強調は引用者。


1本目の記事は比較的理解しやすいのですが、2本目の記事は哲学用語や哲学者の名前が頻出して、正直言って私には難解です^^;
ですが、K・ワークスさんがkagamiさんを擁護する目的でこれらを書いたのは、疑いの余地はないと思いますです。『新・アニメ・批評』にはしっかりと『ロリコンファル』へのリンクもある事ですし。わざわざ自分でリンクにいれたブログを罵倒するなど、考えにくい事です。しかし今は2本とも削除されて通常の方法で見る事は不可能です。livedoor ReaderなどのRSSではまだ見られると思います。kagamiさんは、はてなブックマークで切り取られた部分しか見ていなかったので、K・ワークスさんの意図を誤解されてしまったのではないでしょうか?

馬鹿みたいに哲学者や文学者の言葉を引用することによって、むしろ逆に己が無知であり、無教養であるこという事実を曝け出しつつ、何より優れた知性への素朴な憧憬をネット上で披瀝してきたロリコンファルという素晴らしいサイトの終焉がその筆者により予告された。このサイトの愚純なまでの引用癖には多くの人があきれさせられたし、何よりその思想的偏りの一貫...
はてなブックマーク - 新・アニメ・批評 いささか早すぎる「ロリコンファル」追悼記事。

このように、はてなブックマークで切り取られた箇所だけを見れば、まるでK・ワークスさんがkagamiさんを罵倒しているように見えますが、全文を見れば分かる通り、そんな事はないです。記事を削除してしまったせいで、K・ワークスさんはkagamiさんだけでなく、色んな方に誤解されてしまっているように思います。以下のブログもK・ワークスさんの意図を測りかねているようです。

最後に不思議な点が一点。新・アニメ・批評さんが上記のようなエントリを書いたとのことですが、これがどうも不思議なんです。というのも、私が昨日の午後1時前くらいに新・アニメ・批評さんにアクセスしたところ、全く反対の趣旨のエントリが書かれていました。ログやコピーを取っていればよかったのですが、概ね次のような感じです。

「kagami氏のような書き手を失うのは残念でならない、こんな時こそ我々がkagami氏を擁護しなければならないのではないか、何のためにリンクを貼っているんだ、何で無視を決め込むんだ」

といった趣旨の文章だったように思います。ただ、1時半ごろには既にエントリは削除されていましたので、今や真実はわかりません。しかし、私が今このように書いているのは、たとえ私の見た幻であろうと(その場合は新・アニメ・批評さんに失礼になるわけですが)、そのエントリを読んだからであります。おそらくそれが無ければ私はこうして長文を書いていることは無かったかもしれないと思います。
どうしてこんなことになってしまったのやら・・・


擁護する目的で書いたはずなのに、削除してしまったせいで本人にも正しく伝わっておらず、それどころか全く正反対に受け止められてしまったのなら、なんと悲しい事でしょうか。



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